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万葉神事語辞典


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項目名 よしの
表記 吉野
Title
Yoshino
テキスト内容 現在の奈良県吉野郡。吉野町役場から東へ5キロほどの所に、宮滝遺跡があり、その付近が万葉時代に吉野宮が存在した場所と見られる。記紀には神武天皇の東征時における吉野の国つ神の奉仕が記されており、神話的歴史において吉野の聖性が形成されていたことをうかがわせる。『延喜式』には天皇の即位に際して行われる大嘗祭において、吉野の国栖が歌舞を奏上し、物産を献上した記事が見られ、平安時代まで吉野が天皇の王権を保証する観念を役割を担っていたことが確認できる。万葉集での初出は、天武天皇御製(1-25)で、大海人皇子(天武)が天智天皇と決別して近江大津宮を出て吉野に隠棲する折を回想する歌である。大海人皇子と吉野の関係については、大海人皇子が道教の呪術に秀でていたこと(紀)と、道教の秘術に関わる水銀が吉野で産出したこととの関連も指摘されている。天智天皇が崩御した後、、大海人皇子は672年に吉野を基点として兵を挙げ、近江朝廷を討ち滅ぼして、天武天皇として即位した(壬申の乱)。万葉集には、柿本人麻呂(1-36~39)に始まり、笠金村(6-920~922)、山部赤人(6-923~927)、大伴旅人(3-315~316)、大伴家持(18-4098~4100)へと続く吉野讃歌の系譜を確認することができる。それらの歌では、吉野の情景の美しさと吉野宮のすばらしさを讃美することによって、そこを営む天皇を讃美するという論理がうかがわれ、吉野が万葉時代の王権にとって重要な場所であったことがうかがわれる。柿本人麻呂の吉野讃歌では、山川の美しさとともに山の神、川の神が持統天皇に奉仕する様子が歌われ、吉野の神聖性を最もよく示している。持統天皇は在位11年の間に31回の吉野行幸を行ったが、それは吉野がカリスマ的天皇であった夫天武天皇が壬申の乱に勝利をおさめ、679年には、天武天皇の皇子、天智天皇の皇子を集めて不逆の盟約を交わした地であったためであろう。中継ぎ的な天皇であった持統天皇は、カリスマ的天皇であった夫天武天皇の威光を借りることで、天下を維持しようとしたのである。山部赤人の吉野讃歌では、清透な吉野の情景が讃美されるが、それは聖武天皇の治世の安寧を、自然の秩序の安定によって示すものである。大伴旅人、大伴家持の吉野讃歌は、天皇の前で奏上されることのなかったものだが、彼らが天皇讃美のために予め吉野讃歌を作ったことは、吉野と王権とのつながりの深さを物語っている。
執筆者 大浦誠士
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吉野の宮滝