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万葉神事語辞典


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項目名 もり・やしろ
表記 杜・社
Title
Mori / Yashiro
テキスト内容 ①木の茂ったところ、②神の居所としての樹木や岩、③神祀りの場をいう。①は、万葉集に1例のみで、「朝な朝な我が見る柳うぐひすの来居て鳴くべき森にはやなれ」(10-1850)とあり、木が生育して繁る様を表現する。②③は、神の居所、あるいは、神祀りの場そのものを表現する語として用いられる場合である。万葉集には「木綿掛けて斎ふこの社(もり)」(7-1378)といった表現がみられ、モリは、神を迎え、これを祀るための聖域全体を指すと考えられ、ひいては、「思はぬを思ふと言はば大野なる御笠の杜(もり)の神し知らさむ」(4-561)とか、「千年に 欠くることなく 万代に あり通はむと 山科の 石田の杜(もり)の 皇神(すめがみ)に」(13-3236)といった表現が示すように、神そのものを象徴する語として用いられている。その聖域の清浄であることは、『延喜式』に「神社の四至の中で樹を伐ったり、死体を埋めたりしてはならない」といった1条があることからもうかがえる。一方、「ちはやぶる神の社(やしろ)」(4-558、11-2662他)の成句もあるヤシロには、その語源を、神を迎え、神を祀るためのヤ(屋)を建てるためのシロ(代)をいう(『時代別国語大辞典』)とする説もある。「ちはやぶる神の社に我が懸けし幣は賜らむ妹に逢はなくに」(4-558)、「ちはやぶる神の社に我が懸けし幣は賜らむ妹に逢はなくに」(11-2662)といった表現もあるように、聖域全体というより、祭祀のための敷設物を指すのがヤシロの本義であったと考えられる。例えば、現行の祭事では、諏訪の御柱祭のように社殿を囲む四隅に立てられる柱が聖域を示すと同時に、神を祀るための場を示すヤシロの原初的な形態を留めているともされる。そして、ヤシロには、「祝らが斎ふ社」(10-2309)「住吉に斎く祝」(19-4243)と表現されるように、特定の祭祀者の存在も想定されるのである。さて、様々な場で神を祀るにあたって、例えば、「神奈備にひもろき立てて斎へども」(11-2657)といった「ひもろき」が用いられる。これは折口のいう「依り代」であり、崇神紀6年の条に「故、天照大神を以ちて豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)に託(つ)け、倭の笠縫邑に祭り、仍りて磯堅城(しかたき)の神籬(ひもろき)を立つ」とあるように、これを神の座として神を祀るのであった。神祀りはこうした一時的な神の座を立てて行われるものであったが、これが次第に恒常的なものへと変わっていくことで出現したのがヤシロであると考えられる。また、「かくしてやなほやなりなむ大荒木の浮田の社の標にあらなくに」(11-2839)などと詠われる「社の標」は聖域と他とを区切るものとして機能するが「標縄」(10-2309)といった簡便なものがある一方で、「ちはやぶる神の斎垣」(11-2663)と詠われる「垣」も、ヤシロが整っていくなかで恒常的な附属の敷設物として設けられるようになったといえよう。また、恒常的な祭祀のありかたは、地域と密着した神の呼称を生む。本来、「ちはやぶる鐘の岬」(7-1230)、「ちはやぶる宇治の渡り」(13-3236)、「ちはやぶる神の御坂」(20-4402)と詠われるように、岬や渡り、坂といった自然の中のそこここに居るとされ、畏怖されていた神々が、恒常的に祀られるようになることで、特定の地名とモリ、あるいはヤシロが結びついた呼称をもつこととなる。万葉集にみられる「哭沢の神社」(2-202)、「山背の久世の社」(7-1286)、「神奈備の石瀬の社」(8-1419)、「天飛ぶや軽の社」(11-2656)、「山背の石田の社」(12-2856)といった呼称は、神がその地に恒常的に祀られることによって生まれた呼称である。そして、このことが、単に畏怖する対象としてではない、神の個性化をも生み出すこととなる。例えば、「かけまくの ゆゆし畏き 住吉の 我が大御神 船の舳に 領きいまし」(19-4245)と詠われる住吉の神は、遣唐使らが航海を祈る神であり、「万代に あり通はむと 山科の 石田の社の 皇神に 幣取り向けて 我は越え行く 逢坂山を」(13-3236)とある「石田の社の皇神」は「逢坂山」を越えるための手向けの神でもあったのである。西角井正慶『古代祭祀と文学』(中央公論社)岡田米夫『神社』(近藤出版社)。宮地直一「諏訪神社の研究」『宮地直一論集』2(蒼洋社)。
執筆者 城﨑陽子
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