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万葉神事語辞典


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項目名 みたや
表記 御田屋
Title
Mitaya
テキスト内容 田屋とは、田植えや稲刈りなどの農繁期に一時的に持ち田のそばに作って居住する番小屋で、『後撰和歌集』所収で小倉百人一首の天智天皇御製「秋の田の刈穂の庵」(6-302)はこれに当たる。万葉集では長歌に1例(13-3223)のみで、次のような歌。雷の落ちる空から9月の時雨が降ると、雁もまだ来て鳴かない神奈備(かんなび)の清い御田屋の敷地内の田の堤で、繁った槻の瑞々しい枝に秋の紅葉した葉を手に巻き持ち、小鈴もゆらゆらと鳴らすたおやかな女である私だけど、引きつかんで木のてっぺんまで揺れるほどに束ねて折って、私は持って行く、あなたのかんざしにするために。久松潜一『万葉秀歌』(講談社)は「神事の際に巫女が舞いながら歌ったものかも知れない」とし、『講談社』は「神奈備の赤葉を挿頭(かざし)にする神事歌謡か」という。『釈注』は、堤に槻を植えるのは、堤の堅固といった実用性もあるが、御田屋の稲の豊饒予祝が本来の狙いであろうとし、槻の下では国見の祭りや遊びが行われるもので、女たちが稲の収穫をことほぎ、紅葉を鑑賞するための賀宴の可能性を説いた。『全注』は、そうした神事的要素よりも鑑賞に比重が置かれた「黄葉(もみち)の宴」における座興の恋歌とした。水辺で槻の木のもと、神を招くための呪具である枝や鈴を身につけて舞う女の姿は、秋の収穫の祭祀で来訪神を招く巫女の姿が始源にある表現だろう。御田屋は、宗教的には新嘗(にいなめ)屋から大嘗祭の悠紀(ゆき)・主基(すき)にも発展する仮屋で、巫女が来訪神に早稲を捧げて饗応する機能があったと考えられる。しかしながら、3223は、そうした集団的祭祀的な歌謡の面影を残しつつも、すでに秋の季節の風物を観賞する段階に至っており、風雅で疑似祝祭的な宴席歌へと変貌を遂げている。平安中期の歌人曾禰好忠(そねのよしただ)には「御田屋守(も)りよ、今日は五月になってしまった。田植えを急ぎなさい、早苗が枯れてしまうよ」(『後拾遺』3-204)という万葉調の異彩な歌がある。
執筆者 田中夏陽子