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万葉神事語辞典


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項目名 まつ
表記
Title
Matsu
テキスト内容 マツ科マツ属の常緑樹。葉は針状。樹齢の長い松は「八千種の花は移ろふ常磐なる松のさ枝をわれは結ばな」(20-4501)と、移ろい易い花と対極にある永遠なるものとして歌われる。移ろいやすい桜と対比するときには、「松風に池波立ちて 桜花木の晩茂(くれしげ)に」(3-257、260)とか「屋戸(やど)にある桜の花は今もかも松風疾(はや)み地(つち)に散るらむ」(8-1458)と松籟に着目して歌われている。松の花も「松の花花数(はなかず)にしもわが背子が思へらなくに」(17-3942)とへりくだって言う1」首が万葉集中に見える。松の枝を結ぶ歌は、有馬皇子の自傷歌「磐代の浜松が枝を引き結び」(2-141)が有名である。枝を結ぶ行為は「たまきはる命は知らず松が枝(え)を結ぶ情(こころ)は長くとそ思ふ」(6-1043)という例からも窺えるように永遠性を予祝する神事的な習俗であったろう。「姫島の小松が末に蘿生すまでに」(3-228)は枝を意識して歌っているが、「松が根の絶ゆることなく」(19-4266)や、「松が根や遠く久しき」(3-431)などは、根を歌うことでその永遠性を表現している。後世、能の鏡板に描かれた老松の枝振りや地表に露呈した根の造形には心を奪われるが、すでに、万葉集中で「茂岡に神さび立ちて栄えたる千代松の木の年の知らなく」(6-990)と緑豊かな松の枝振りに永遠性を見、「神さびて巌に生ふる松が根」と神々しいほどに堅固なるものとして具象化されている。神が降りる樹としての伝統は古く、神事と松の結びつきを暗示している。また、「御在西池辺、肆宴歌」の「池の辺の松の末葉に降る雪は五百重降りしけ明日さへも見む」(8-1650)は瑞祥である雪と松とを詠み込み予祝し賀歌となりえている。松の形態だけでなく、ことばの連想を活かして、「松」に「待つ」を掛けて歌うのは相聞歌などの手法である。山上憶良の「いざ子ども早く日本へ大伴の御津の浜松待ち恋ひぬらむ」(1-63)の「待ち恋ひ」は「松」に導かれている。しばしばこうした詠み口と「白砂青松」と褒めそやされる景勝の地とが結びついている。岩代、企救、茂岡、住吉、高師、浜松、姫島、巻向、三津、吉野、吾が松原、安良礼松原、今木の嶺、鷺坂山、茅渟の海、角の松原、飛羽山、名次山、長門の海、楢山等々と次々に地名があがるのは、松に親しみを看取しているからで、樹形に「人」の姿を見て取った上代歌謡からの伝統であろう。
執筆者 岸正尚