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万葉神事語辞典


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項目名 ふじのやま
表記 富士の山
Title
Fujinoyama
テキスト内容 静岡、山梨両県にまたがるコニーデ型火山。標高3,776メートルで、日本の最高峰である。古代以来、富士山は神が坐ます山として信仰の対象とされてきた。万葉集では山部赤人が「天地の 分れし時ゆ 神さびて 高く貴き 駿河なる 富士の高嶺を」(3-317)と、その神々しさを詠い、高橋虫麻呂が「日本の 大和の国の 鎮めとも います神かも 宝とも なれる山かも 駿河なる 富士の高嶺は 見れど飽かぬかも」(3-319)と、日本の国の鎮護の山と詠う。また、その反歌には「富士の嶺に降り置く雪は六月の十五日に消ぬればその夜降りけり」(3-320)という当時の富士山にまつわる言い伝えが詠み込まれている歌もあり、常陸国風土記には筑波山と福慈(富士)山の神が神祖(みおや)の尊の一夜の宿りをめぐる蘇民将来型の説話も残されている。こうした記述から、奈良時代にはその霊妙な様が色々な形で語られていた事がわかる。一方、活発に噴火をしていた富士山の様子を万葉集の歌に、「富士の高嶺の燃えつつかあらむ」(11-2695)、「富士の高嶺の燃えつつ渡れ」(11-2697)と、恋心の燃え上がる様に喩える表現は、後の勅撰和歌集にまで引き継がれる常套表現となった。さらには富士山を「富士の柴山」(14-3355)、「富士の嶺のいや遠長き山路をも妹がりとへばけによばず来ぬ」(14-3356)と、その生活感覚に基づいて富士山を詠んだのは東国の人々であり、山辺赤人や高橋虫麻呂といった歌人たちが、いわゆる都人とはいささか異なる視点で富士山を眺めている。富士山が霊山として信仰されるようになったのは平安時代からであり、『霊異記』には、たぐいまれな験力によって富士山で修業をしたとされる役小角の説話がある。また、都良香の『富士山記』には詳細な山頂付近の描写があり、富士山が眺める山から登り、修行する山として変貌を遂げた様がうかがえる。中世期になると、浅間大菩薩信仰の喧伝と異界遍歴譚をあわせた『富士の人穴草子』などが語られるようになり、草子の所持者や書写者、聴聞者などに富士権現の利益を説くようになった。その一方で庶民に浸透した富士信仰が富士登山を目的とする富士講を生み、近世半ばになると江戸八百八講と呼ばれる程の盛況ぶりをみせた。
執筆者 城﨑陽子