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万葉神事語辞典


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項目名 ひのみこ
表記 日の皇子
Title
Hinomiko
テキスト内容 日継ぎの皇子。スメロキの霊である天皇霊を指す。ヒ(霊)の御子の意であるが、日が象徴するようになり太陽の皇子と理解された。万葉集では柿本人麿が日並皇子の挽歌(2-167)で、天の神が瑞穂の国を統治する神として「日の皇子」を神下したという。その日の皇子は飛鳥の浄原の宮に神の意志のままに統治し、後に天皇(すめろき)の知らす国として石門を開き神上がりしたと詠む。ただ、この文脈は複雑で『沢瀉注釈』には「上からのつゞきでは天孫の事であるはずだが、次のつゞきは天武天皇の事になつてゐる。…(中略)…思ふにこの作者は後に『和射見我原乃行宮尓(わざみがはらのかりみやに) 安母理座而(あもりいまして)』(一九九)とも云つてをり、それは天武天皇が伊勢から美濃へ、和蹔(わざみ)が原の行宮におはいりになつた事であり、それを『天降りいまして』と云つてゐるので、さういふ修飾を用ゐる作者である事を考へ合せれば、天の八重雲をわけて降臨された天孫と浄(きよみ)の宮に宮居を定められた天武天皇とが『神下 座奉之』の句のところで二重写しのやうになつて、日の皇子がいつの間にか天武天皇となつたと見るべきだと思ふ」と説明する。今日では天武天皇と理解する傾向にあるが、それでは日並皇子が明確にならない。早く折口信夫は「日のみ子は常に、新しく一人づゝ生れ来るものとせられてゐた。日のみ子が、血筋の感情をもつて系統立てられると、日つぎのみ子と云ふ言葉が出来る。つぎは、後置修飾格で、つぎ=日のみ子といふことにも解釈出来る」(「万葉びとの生活」)と述べ、また「古代日本の考へ方によれば、血統上では、先帝から今上天皇が、皇位を継承したことになるが、信仰上からは、先帝も今上も皆同一で、等しく天照大神の御孫で居られる。御身体は御一代毎に変るが、魂は不変である。すめみまの命といふ詞は、決して、天照大神の末の子孫の方々といふ意味ではなく、御孫といふ事である。天照大神との御関係は、ににぎの尊も、神武天皇も、今上天皇も同一である」(「大嘗祭の本義」)ともいい、藤原のころの考えだとする。これは日の皇子が日嗣ぎの皇子として天皇の資格を得ることをいうものであり、天皇霊にほかならない。日の皇子は記の歌謡にも見られ、西條勉は「古事記の歌謡に見られる〈タカヒカルーヒノミコ〉はおおむね比較的新しい時期に作られたようである。紀に〈ヤスミシシーワガオホキミ〉のみが用いられ、このフレーズが一つもみられないのは、そういった事情とかかわりをもつのではないかと思われる」( 「ヒルメとヒノミコの神話」)「〈タカテラスーヒノミコ〉は人麻呂の日並皇子挽歌から始まるとみてよさそうである。タカヒカルとタカテラスは自動詞と他動詞の違いがあり、他動詞のタカテラス(高々と天下を遍く照らす)は自動詞のタカヒカル(高々と天に光り耀く)にくらべてより君臨性・人格性がつよく、君主観のうえで質的な違いが見られる」(同上)と指摘し、持統朝にはじめてそれが出現するという印象をぬぐい難いと述べ、天皇家の日神が氏族的な守護神から血縁的な祖神へと変質する要因となったと想定する。これは折口が考えるところと基本的に等しいといえる。折口信夫「万葉びとの生活」『全集 1』(中央公論社)。折口信夫「大嘗祭の本義」『全集 3』(中央公論社)。西條勉 「ヒルメとヒノミコの神話」『古事記と王家の神話学』(笠間書院)。辰巳正明「天皇の解体学」『折口信夫』(笠間書院)。
執筆者 辰巳正明