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万葉神事語辞典


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項目名 はらえ
項目名(旧かな) はらへ
表記 祓へ
Title
Harae
テキスト内容 神に祈って、罪や穢れ、災いなどを捨て去ること。動詞の場合は下二段活用になる。罪を犯した者が、罪を無いものにするために他から科されて物を提出するというのが原義。「祓へ」のもともとの有り様は、スサノヲの命が悪行の罪を問われ千位(ちくら)の置戸(おきど)を負わされて高天原を追放されたいきさつを語る記紀の記述にうかがい知ることが出来る。紀の高天原追放の条の一書第二には、スサノヲに科せられた贖罪の品物「祓具」について「此云波羅閇都母能(これをはらへつものといふ)」との記述も見える。「祓へ」は「みそぎ」の語とともに使われることが良くあるが、「みそぎ」は、穢れた者自身が穢れを水で洗い清める意であり、両者は本来は異なるものであった。けれども、万葉集ではすでに両者が混同されており、「祓へ」の意味に変化が認められる。諸王・諸臣の子弟らが職務放棄を咎められて謹慎させられた時の歌(6-948)では、「こんな処分を受けるとわかっていたら、菅の根を取ってしのぶ草として祓へをすればよかったのに、流水でみそぎをすればよかったのに」となっている。「みそぎ」は本来の意味で使われているが、「祓へ」の方は、贖罪のための物品拠出の意には取りにくく、かつ他から科されることと理解するのも躊躇される。しかもここでは「祓へ」に菅が使われているが、菅は「六月晦大祓(みなづきのつごもりのおほはらへ)」の祝詞でも「祓へ」に用いられている一方で、万葉集の石田王の挽歌(3-420)には、「ささらの小野の七節の菅を手に取り持って、天の河原に立ってみそぎをすればよかったのに」とある。このように「みそぎ」でも「祓へ」でも菅が使われており、かつ、「祓へ」が自ら行う行為と取れるものに変化しているところに、青木紀元は両者の接近を見ている。万葉集の「祓へ」にはこのような、贖罪のための物品拠出という側面が薄れて悪いもの(運命)を払い除くという意味合いが強まりしかも他から科されるのではなく自分で行う行為という方向への変化が認められるが、この点に注目すると、「祓へ」と同根の四段動詞「祓ひ」とも近くなっていくとも理解される。万葉集では「祓ひ」は、夏草や霜、塵芥など邪魔な物を取り除くという意の例(10-1984、9-1744、14-3489)と、敵対する勢力を平らげるという意の例(2-199、19-4254)が見られる。青木紀元「ミソギとハラヘ」『日本神話の基礎的研究』(風間書房)。
執筆者 原田留美
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はらえ