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万葉神事語辞典


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項目名 はつせ
表記 泊瀬
Title
Hatsuse
テキスト内容 奈良県桜井市を流れる初瀬川の上流、初瀬谷付近をハツセ(泊瀬、初瀬などと表記)、あるいはハセ(長谷)と呼んだ。この地は奈良盆地と東国を結ぶ水陸交通の要地であり、雄略天皇の泊瀬朝倉宮(はつせのあさくらのみや)、武烈天皇の泊瀬列城宮(はつせのなみきのみや)、欽明天皇の行宮である泊瀬柴籬宮(はつせのしばかきのみや)が営まれた(紀)。稲荷山古墳出土鉄剣銘の「斯鬼(しき)宮」を泊瀬朝倉宮とすると、5世紀には広義のシキ(磯城)の地に含まれたか。万葉集や記紀歌謡ではハツセに枕詞「こもりくの」を冠せられる場合があるが、山に囲まれた隠れた処、神霊のこもる処の意で、山ふところに覆われた地形のみならず、外界から遮断された神の支配する聖なる空間をも意味した。ハツセの語意については、本居宣長の「大和の国の真中を流れたる其初の瀬の意か」(古事記伝)とする説、あるいは船の泊つる所とする説(西郷信綱『古代人の夢』)などがある。しかし、人麻呂の「土形娘子(ひぢかたのをとめ)を泊瀬(はつせ)の山に火葬(やきはぶ)りし時」の歌(3-428)をはじめとする葬歌(7-1407、1408)からもうかがえるように、7世紀後半以降この地が葬送の場であったことから、「人の常なき」と無常を想う歌もあり(7-1270)、人の身の「果つ瀬」と観念されたらしい(思想大系『古事記』下巻補注80)。ハツセの地が神聖視されたことは、大来皇女が泊瀬斎宮で身を潔斎したこと(天武紀2年)や、泊瀬川での斎杙(いくい)・鏡・玉を呪物とする水の祭式(祓い)にかかわるとみられる歌(13-3263、允恭記歌謡90)などからうかがえる。西郷信綱は「こもりくの泊瀬」は山や岩や水が母性原理によって統合されており、神話的には豊饒の源たる母胎を意味し、ハツセは復活・再生の神話的意味の込められた地であったとされる(前掲書)。なお、天武天皇の行幸があり、宴が行われた迹驚淵(とどろきのふち)の上(うえ)は聖跡とされ(天武紀8年)、長谷寺建立の機縁となった(長谷寺法華説相図銅板銘)。
執筆者 川崎晃