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万葉神事語辞典


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項目名 なきさわのもり
項目名(旧かな) なきさはのもり
表記 泣沢の社
Title
Nakisawanomori
テキスト内容 柿本人麻呂が、高市皇子の薨去を悼んだ長歌の反歌として或書に載せられていた歌に、「泣沢の 神社に神酒据ゑ 祈れども」(2-202)と見えるのみ。泣沢の社に神酒を捧げ、皇子が蘇られるようにと祈ったと詠んでいる。この「泣沢神社」は、現在、橿原市木之本町にある畝尾都多本神社とされる。祭神は啼澤女命。『延喜式』神名帳にも見える神社である。近畿日本鉄道大阪線耳成駅(奈良県橿原市石原田町)から南に1・2キロメートルのところで、香具山の西麓に位置する。境内に入って左側に先の万葉歌碑があり、境内地全体が泣沢森と呼ばれている。神社の由緒は記に見られる。伊耶那美神が火之神を出産したときに亡くなられたので、伊耶那岐命は悲しまれ、伊耶那美神の枕元に腹這いになったり、足元に腹這いになって大声で泣いた。その時に流れた涙から生まれた神が香具山の畝尾にある木のもとに坐す泣沢女と呼ばれる神だと記されている。紀にも同様の初伝が記されているが、創建年代などについては不明である。伊耶那岐命が腹這いになりながら泣くというのは、葬送で行われる、死者を復活させる呪術的な儀礼、哭礼の起源とされている。ただ、『古事記伝』では命乞いの神だとしている。記紀に見える天若日子神話でも、天若日子が死んだ時に、その妻下照比売が風と共に天に響くほど泣いたとある。古代の人にとって死者に対して哭泣するということは、こうした呪術的な意味があったと考えられている。額田王の天智挽歌の「夜はも 夜のことごと 昼はも 日のことごと 音のみを 泣きつつありてや」(2-155)も、殯宮で夜通し続けられた哭礼の様を詠んだものであろう。人麻呂の高市皇子挽歌からも、伊耶那岐命が流した涙から生まれた神なので、その神の呪力を期待して、皇子の復活を願う祭儀が行われていたと考えられる。山田永「泣くこと」『上代文学』64号。
執筆者 野口恵子
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泣沢神社