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万葉神事語辞典


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項目名 とよのとし
表記 豊の稔
Title
Toyonotoshi
テキスト内容 稲・麦・豆などの主要な穀物が豊かに成熟する年を褒めたたえること。万葉集では746(天平18)年正月の大雪の日、葛井連諸会が「応詔歌」(20-3925)で「豊乃登之」と歌ったのが唯一の用例である。「とよ」は豊かに満ちあふれることを表わして褒める意がある。「とし」は穀物が豊かに実る期間を意味する。後の『類聚名義抄』(法下)には「稔ミノル・トシ・ユタカナリ」とみえ、「トシ」も穀物が1年周期で熟すことを示す。これらの「豊の稔」「豊の年」は漢語を翻訳した語である。『後漢書』皇后紀(明徳馬皇后)に「(建初)4年(79)、天下は豊稔」と記し、『文選』巻13の謝恵連の「雪賦」にある「尺に盈つれば則ち瑞を豊年に呈し」など、すでに多くの出典が指摘されている。積雪を「豊年」の瑞兆と見なす用例もある。諸会は渡来氏族出身の官人で、735(天平7)年に大史正六位下の官職で登場する。その職掌は公文を記録し、草案を勘案するもので、歴史や文学などに深い理解があったと考えられる。『続日本紀』の詔には、「豊稔」「豊年」「年穀豊稔」「五穀豊穣」などの漢語が用いられ、豊作や凶作への関心が極めて高いことを表わす。聖武天皇の治世、731(天平3)年8月25日、豊年を祝い田租などの減免を命じた詔には、「天地のふ所は、豊年最も好し」と、天地からの賜り物は豊年が最も好ましいと宣する。前年の凶作から一転して豊作となった年を、天下の人人と共に喜びを享受したいと率直に表明する。このような豊穣の祈念は、天皇と臣下という強い紐帯を確認することである。天平18年の現実では、左大臣橘諸兄を筆頭に官人たちが、元正太上天皇の在所の雪掻きを奉仕して歌を奏上した。諸会の歌は、雪を瑞兆とする新しい年の豊年を予兆するものであるが、「豊の稔」の到来は、太上天皇の徳によるものとされ、その賛美と年頭の祝賀の意を表わすのであろう。東野治之「豊旗雲と祥瑞」『遣唐使と正倉院』(岩波書店)。辰巳正明「雪の驟-人麿の皇子讃歌―」(『万葉集と中国文学』第2(笠間書院)。
執筆者 宮岡薫