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万葉神事語辞典


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項目名 たつたひこ
表記 竜田彦
Title
Tatsutahiko
テキスト内容 「春三月に、諸の卿大夫等の、難波に下る時の歌二首并せて短歌」(9-1747)とある第一長歌の反歌に、「我が行きは 七日は過ぎじ 竜田彦 ゆめこの花を 風にな散らし」(1748)とある。万葉集中、「竜田彦」の用例はこの1例のみである。675(天武)4年4月条に、美濃王・佐伯連広足を遣わして風神を竜田の立野に祠らせた、とあるのが竜田の神の初出である。同条には続いて間人連大蓋・曾禰連韓犬を遣わして大忌神を広瀬の河曲に祭らせた、ともある。以後、天武紀・持統紀には竜田風神(竜田の神)広瀬大忌神(広瀬の神)を4月、7月に祭らせる記事が持統11年まで続く。これは神祇令に孟夏(4月)・孟秋(7月)の祭と規定するのと対応し、竜田祭が制度化された重要な祭であったことがわかる。立野は奈良県生駒郡三郷町大字立野であり、現在ここに竜田大社がある。斑鳩町大字竜田には竜田神社があり、この二社は、延喜神名式平群郡二十座の中に「竜田坐天御柱国御柱神社二座並名神大。月次・新嘗」「竜田比古竜田比女神社二座」とあるのと対応する。万葉集の「竜田彦」は、紀の記事を参照すれば、前者の祭神を指すのであろう。祝詞の「竜田風神祭」には、「天の御柱の命・国の御柱の命」が「悪しき風・荒き水」の神として見える。竜田の神に祟り神的要素があるのは、竜田が大和と河内の境界に位置することと関わるのであろう。万葉集に「たつた」を詠み込んだ歌は、15首ある。「竜田越え」(4-626)、「竜田道」(6-971)を含めて、その対象がすべて竜田山であることは注目すべきであろう。その歌の性格を一覧すると、3例(626、877、3931)を除き、旅や行幸の歌(83、971、1181、1747、1748、1749、3722、4395)と季節歌(2194、2211、2214、2294)に二分される。季節歌の場合は秋に限定され、黄葉が印象づけられる。それに対して旅や行幸の歌は、「沖つ白波」「白雲」「丹つつじ」「桜花」「朝霞」などの景が歌われる。「竜田彦」を歌い込む1748と同様に、桜花の散るのを惜しむ歌「竜田山 見つつ越え来し 桜花 散りか過ぎなむ 我が帰るとに」(20-4395)も、桜を散らす風の神としての竜田の神の霊威を背後に感じさせる。1748の「ゆめこの花を 風にな散らし」と歌う心情には、旅の安全を保障する「竜田彦」への強い信仰心が感じられ、その背後には、制度化された竜田風神祭があったのである。
執筆者 青木周平