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万葉神事語辞典


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項目名 さけ
表記
Title
Sake
テキスト内容 酒。キとも。神事に用いられる場合は、接頭語「御」を付けて「御酒(みき)」となる。『魏志倭人伝』に「人性嗜酒」と見え、古くから酒が存したことがわかる。宮廷には造酒司がおかれ、大嘗祭などに奉仕していた。『塵袋』所引の大隅国風土記逸文に、酒を造ることを「かむ」というとあり、以下のような説明がある。大隅の国では、ある家に水と米とを準備して村中に告げ回ると男女が一箇所に集まって米を噛んで酒専用の入れ物に吐き入れて、散り散りに帰宅する。酒の香がしてきた時にまた集まって、噛んで吐き入れた者たちがこれを飲む。これを名付けて口噛の酒と呼ぶ。記上巻ヤマタノオロチ退治では、スサノオが何度も繰り返して醸造した強い酒(八塩折の酒)を造らせる。酒は神祭りの場や儀礼・宴席の場に不可欠のものであったようだ。仲哀記・神功皇后摂政紀で、太子応神を寿ぐ宴席の場で歌われた酒楽歌では、この御酒は私が醸した御酒ではなく、酒の神である常世にいらっしゃるスクナミカミが醸した酒だとうたい、崇神紀の大物主神祭祀の場面では、この御酒は大和を領有する大物主神が醸した酒だと歌うように、神祭りの場では、直会において神酒の下賜を受けるという意味合いを持っている。宮廷や官人の間の宴席で酒が盛んに飲まれていたことは万葉集の宴席歌、例えば巻5の梅花の歌などを見ればうかがえる(5-833、840、852)。また大伴旅人は、酒そのものを題材として13首を歌っている(3-338~350)。そこでは、古の七賢人も欲しがったものは酒であったらしい、などとも歌われており、漢籍の影響や竹林の七賢への共感などが見受けられる。なお、『続日本紀』によれば、737(天平9)年5月と758(天平宝字2)年2月には禁酒の詔勅が出されている。万葉集にも、都内村里の住民に対し集って飲宴することを禁じるが、近親同士1人2人で楽飲することは許可する、という記述が見える(8-1657左注)。「濁れる酒」(3-345)や「須弥酒」(飛鳥板葺宮出土木簡)などから清酒・濁酒の別があったことが知られる。また「糟湯酒」(5-892)の例もあり、しぼり粕を湯に溶かして飲むこともあったらしい。風土記には「酒井の泉」(肥前国基肆郡)「酒水」(豊後国大分郡)「酒の泉」(播磨国印南郡)等の記事が見られ、これらは酸性の鉱泉のことであると思われるが、播磨国の話は人民がこれを飲んでお互い戦い乱れたので埋めて塞いだとあり、文字通り「酒の泉」の話となっている。
執筆者 谷口雅博
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酒船石