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万葉神事語辞典


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項目名 くし
表記
Title
Kushi
テキスト内容 ①髪を整える道具。②機織で糸が乱れないよう整える道具。②は形状の類似による呼称。「娘子(をとめ)らが 織る機(はた)の上を ま櫛もち 掻上(かか)げ栲(たく)島」(7-1233)がその例。①は装身具とだけ見るべきではない。大伴宿祢村上と清継が伝誦した作主未詳の歌では、「櫛も見じ…(中略)…旅行く君を 斎ふと思(も)ひて」(19-4263)と、櫛を用いないことが旅行く家族の無事を祈る習俗の手順のひとつとされている。また作者未詳の正述心緒歌でも、「朝寝髪 我は梳(けづ)らじ 愛(うるは)しき 君が手枕(たまくら) 触れてしものを」(11-2578)と、櫛をあててしまったら恋人の腕の感触が逃げてゆくような気がすると詠まれており、櫛に対する当時の呪術的な観念がこれらからは窺われよう。前者の例は三国志魏書東夷伝倭人条の持衰(じさい)の記事と類似している。倭人が中国へ渡海する際は旅の安全を祈って、服は汚れたまま髪も梳らず、生活の一切にわたって慎む者をひとり置くという内容である。記紀の所伝にはこのような呪術的性質がより強くあらわれている。イザナミを迎えにイザナキが黄泉へ赴いた際、櫛の男柱を折って灯火としたところ(紀の第五段一書第六ではこれを夜に擲櫛(なげぐし)を忌む風習の起源としている)、醜い姿を見られたイザナミは夫に追手を放った。イザナキが追手に投げつけた櫛は筍に変わり、それを追手が食べている間に難を逃れたのだという。ヤマタノヲロチ退治の伝承でも、スサノヲはクシナダヒメを櫛に変えて(音の類似による修辞であろう)髪に挿したとされる。また記の景行条の倭建命東征の段に、入水して神の祟りを鎮めた弟橘比売の櫛が海辺に流れ着いたため、この櫛を形見として墓に収めたとある話は、万葉集において家持が菟原娘子(うなひをとめ)を詠んだ歌(19-4211、4212)に、人々が娘子を偲ぶために櫛を墓に挿したとある内容と類似している。櫛はやがて黄楊の木に生まれ変わったとも詠まれている。櫛は「奇し」や「酒」とも通じる語であり、呪術的要素のとりわけ濃いものであった。
執筆者 月岡道晴