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万葉神事語辞典


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項目名 がもうの
項目名(旧かな) かまふの
表記 蒲生野
Title
Gamouno
テキスト内容 近江国蒲生郡の野。蒲生郡は近江国の東南部で、現在の滋賀県近江八幡市、東近江市、蒲生郡安土町、同日野町などと、神崎郡永源寺町の一部を含む一帯。その郡家は、東山道に面した場所に置かれたものと思われる。紀668(天智7)年5月条に、蒲生野で薬猟が行なわれたとする記事があり、万葉集にその時作られた額田王と皇太子大海人皇子の歌(1-20、21)が見える。かつてはそこから、天智天皇と大海人皇子の額田王をめぐる葛藤を読み取ることが一般的だったが、現在では宴席における文雅とする読みが定着している。蒲生野はその一帯の野ということだが、668年の薬猟がどこで行なわれたのかは定かでない。現在は、東近江市野口町に「万葉の森・船岡山」が整備され、歌碑も建立されているが、万葉集に見られる狩猟先に、船岡山周辺のような平地の例はない。野は傾斜地、あるいは丘陵地の謂と見られるので、もう少し東側の山寄りと考えた方がよい。日野町あるいは永源寺町の一帯と見るべきではないか。蒲生野の歌には、当時薬草や染料として珍重されたムラサキが詠まれている。そこで、蒲生野ではムラサキを栽培していたと推定する注(『全註釈』)もあるが、確証はない。紀の669(天智8)年是歳条に、佐平余自信・佐平鬼室集斯等男女700余人を蒲生郡に遷り住まわせたとする記事が見える。また、同665(天智4)年2月条には、隣の神前郡に百済人400余人を住まわせたとする記事も見え、この一帯には百済人が多く住んでいたことが知られる。現在も日野町小野に鬼室神社がある。なお、751(天平勝宝3)年正月2日、越中守大伴家持の館で催された宴席に、遊行女婦蒲生娘子が侍り、歌(19-4232)をなしている。主人家持を寿ぐ歌だが、こうして宴席に侍り、歌を作る娘子の呼称は、地名であることが多い。したがって、蒲生娘子は蒲生郡出身の娘子であった可能性が高い。
執筆者 梶川信行