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万葉神事語辞典


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項目名 かみのみおも
表記 神の御面
Title
Kaminomiomo
テキスト内容 讃岐を神話に依拠して讃える表現。讃岐の狭岑(さみね)の島において柿本人麻呂が詠んだ、「石の中の死人を見て作る歌」に「玉藻よし 讃岐の国は…(中略)…天地 日月と共に 足(た)り行かむ 神の御面(みおも)」(2-220)とあらわれている。讃岐をいわば神に擬した表現だが、これは記上巻の国生みの場面に「伊予の二名島(ふたなのしま)」いう名であらわれる、四国の描写に依拠するものである。なお、「伊予」とあるのみで四国全体を指すと理解するのは、同じ国生みの場面に「筑紫」とあって九州全体を指している例があるため不審にあたらない。記に拠ればこの島は、身は1つで顔が4つあるとされ、顔ごとに名を持つという。曰く、伊予国は愛比売(えひめ)、当該の讃岐国は飯古(いひこ)、粟(阿波)国は大宜都比売(おほげつひめ)、土左(土佐)国は建依別(たけよりわけ)。島として一体ではあるが、国それぞれで別々の神格だと考えられているらしい。したがって当該の讃美表現は、讃岐国の神格に向けられたものとしてまず読みとられるべきである。しかしかかる表現をなぜこの歌は必要としたのか。それは歌に詠みこまれた対象である「死人」との関係でとらえられるべきである。旅の行路で死者と遭遇した際、旅人はそれを土地の荒ぶる神の威力のあらわれと見た。そこでその前を通過するために、土地の霊力に畏怖し、またそれを讃め称える表現や土地に属するものの来歴を詠みこんだ歌を作成して神に捧げたのである。2-220では、先に掲げた讃岐への讃仰表現の後に「その讃岐の中港から船出をすると波がやけに騒ぎ出す。これは海の霊力のせいだと思って梶をしまい、狭岑の島に仮の宿りをとると、波打ち際を枕にして浜辺に君(死者)が臥せっている」と、霊力に畏敬の念をもって行動することで辛くも危機を乗り切った一行が死者と遭遇する旨の描写が続く。死者はそのような配慮に欠けていたのである。神話に溯る讃岐の来歴を詠むことは、この土地の神への畏敬の念をあらわすことなのであった。
執筆者 月岡道晴