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万葉神事語辞典


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項目名 かみしま
表記 神島
Title
Kamishima
テキスト内容 「神島」の語を検索すると17件が検出される(『日本歴史地名大系』平凡社)。埼玉県・神奈川県から沖縄県までのものであるが、それほどまでに一般的な島名である。さて、万葉集に見られる「神島」は瀬戸内に属する。即ち、「備後国(きびのみちのしりのくに)の神島の浜にして、調使首(つきのおみのおびと)、屍(かばね)を見て作る歌一首」と題された長歌作品(13-3339~3343)がそれであり、この長歌には「神の渡り」「恐(かしこ)き海」の語が見られる。また天平8(736)年の遣新羅使人歌の一首に「月読(つくよみ)の光を清み神島の磯廻(いそみ)の浦ゆ船出(ふなで)す我(われ)は」(15-3599)がそれである。この瀬戸内の「神島」の地の認定については、広島県福山市(旧沼隈郡地区)西神島(にしかしま)町説と岡山県笠岡市神島(こうのしま)説とが拮抗している。この両説は『代匠記』に挙げられ、笠岡市神島には『延喜式』内の神島神社が存するところから、笠岡市神島説に落ち着きつつあった。一般的な国域の理解からすると、福山市神島は備後国所属となり、笠岡市神島は備中国所属となる。この国域の面から、宮本喜一郎は福山市神島を提唱した。古代の地形復元と共に、恐ろしい神のいる難所(恐(かしこ)きや神の渡り)という側面からの考証もある。また村上正名による古代の遺跡と港津等に関する考究もある。『沢瀉注釈』(巻第13)、『全注』(巻第13、曽倉岑)、『全注』(巻第15、吉井巌)の言及を経て、今では福山市神島で固まったかの感がある。この福山市神島には、すぐ近くに「深津島山(ふかつしまやま)」(11-2423)が存し、備後国風土記の「蘓民将来」条に出る「疫隅国社(えのくまのくにつやしろ)」(王子神社)の存する地でもある。巻13の長歌作品には「備後国神島浜」とあるが、巻15の遣新羅使人歌には国名の明示がなく、下田忠は巻13の神島は福山市神島、巻15の神島は笠岡市神島であると見る。遣新羅使人の航路を考えると、備中国の笠岡市神島が理に合うと見るわけである。この備中国の神島は、後の『続拾遺和歌集』に「建久九(1198)年大嘗会主基方御屏風に備中国神島有神祠所を 前中納言資実」の詞書と共に「神しまの浪の白ゆふかけまくもかしこき御世のためしとぞみる」(10-759)として出る。宮本喜一郎「萬葉集『備後国神島』考」『国語国文』9巻11号。村上正名「神島考」『古代学研究』94号。下田忠「神島」『万葉の歌10中国・四国』(保育社)。
執筆者 廣岡義隆