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万葉神事語辞典


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項目名 かしまのかみ
表記 鹿島の神
Title
Kashimanokami
テキスト内容 茨城県鹿嶋市に鎮座する鹿島神宮の祭神。万葉集に、755(天平勝宝7)年2月筑紫に派遣された諸国の防人のうち、常陸の国那賀郡の防人が「可志麻能可美」を祈り続けてやって来た、と詠まれている(20-4370)。鹿島郡にまつられた鹿島の神は、郡は異なっても那賀郡の防人にふるさとの神として信仰されたように、常陸の国の防人たちの精神的なよりどころとなっていた。さらに、風土記の常陸国信太郡榎の浦の津条に伝馬使らが初めて当国に入ろうとするときには、まず口と手とを洗い、東に向いて「香嶋之大神」を拝み、その後に入ることができると記されるように、その神威は地元の人たちばかりでなく、広く知れ渡っていた。この鹿島の神をまつる社は、『延喜式』の神名帳に「鹿嶋神宮」と記されている。『延喜式』では、神宮という称号をもつ神社はあまりみられず、当鹿島神宮とともに下総の国香取郡の香取神宮にも使用され、この鹿島と香取両神宮が東国を代表する社として、朝廷から特別に扱われたことがわかる。祭神名については、風土記の常陸国香島郡条に天の大神の社・坂戸の社・沼尾の社の三社を合わせて、総称して「香島天之大神」といい、神々の命によって、高天の原から降臨して「豊香嶋之宮」に鎮座したのはこの大神だとする。このように万葉集や風土記では、単に鹿島の神と称されて登場してくる。それが、807(大同2)年に成立した『古語拾遺』には、当社の祭神は「武甕槌神」とする。また、『続日本後紀』の836(仁明天皇承和3)年5月9日条に「建御賀豆智命」、『延喜式』の春日祭の祝詞に「鹿嶋坐健御賀豆智命」とある。記紀に武御雷神が鹿島にまつられたという記事がないことを考え合わせると、当初は鹿島の神と呼ばれたが、のちに武御雷神と特定されるようになったと推測される。この武御雷神は、記紀にイザナキの命が火の神カグツチを斬った際に使用した十拳の剣についた血から生じ、天孫降臨に先立って高天原から出雲の国に降臨して大国主神から国譲りされたとあり、葦原中国平定に際して武神として活躍する。『延喜式』の神名帳には、陸奥の国に当社の分社とみられる「鹿嶋御子神社」など8社がみえ、古代において鹿島の神を奉じた人々が蝦夷地を開発するために北上したことが窺える。当社は藤原氏の氏神とされ、『大鏡』は藤原鎌足は常陸の国に生まれたとする。
執筆者 入江英弥