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万葉神事語辞典


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項目名 かがい
項目名(旧かな) かがひ
表記 嬥歌
Title
Kagai
テキスト内容 カガヒは歌垣(うたがき)の東国方言。カガフの名詞形。男女が集い歌舞する自由恋愛の行事。「嬥歌」と表記したのは、中国少数民族の歌舞と類似したことによる。常陸国風土記の香島郡に見える童子女の松原伝承に「嬥歌会」とあり、その注として「俗云宇多我岐、又云加我ヒ[田+比]也」と見え、土地の者はウタガキともカガヒともいうとある。また高橋虫麻呂が筑波山の嬥歌の会を詠んだ歌に「嬥歌は東俗の語に賀我比という」(9-1759)と見える。筑波山の歌垣は常陸国風土記によると、筑波山は男女二神の山で、男の山は急峻で登らず、女神の山の泉の流れる辺に、諸国の男女が春と秋の季節に飲食物を持参して登り遊楽するのだという。この時に歌われた歌はあまりにも多くて記録できないといい、土地の諺に「筑波峰の会に、娉(つまどい)の財(たから)を得ることがないと、児女としない」というのだとある。この記録から筑波山のカガイは、①神の山で行われること、②泉の湧く水辺であること、③春秋二季に行われること、④範囲は箱根より東の諸国であること、⑤飲食物を持参していること、⑥男女の遊楽であること、⑦歌が多く歌われたこと、⑧贈り物を得ないと児女とされないこと、という情報が得られる。また、前掲虫麻呂の歌には人妻への恋が見られ、これは山の神が禁止しない行事なのだと詠んでいる。歌垣は古代の日本列島に広く存在したものと思われ、風土記や万葉集に山や水辺あるいは市で行われた歌垣の記録を見る。持統天皇の時代に中国から踏歌が伝わり宮廷の行事として行われるが、『続日本紀』734(天平6)年2月には歌垣と呼ばれて、貴族の男女が列をなし歌ったとあり、同じく770(宝亀元)年3月にも歌垣とあり、男女が並んで歌舞したという。民間の歌垣の行事は「一年の中に適当な日を定めて、市場や高台など一定の場所に集まり、飲食・歌舞に興じ、性的解放を行った」(『時代別国語大辞典』)とある。歌垣で性的解放を行ったとするのは、虫麻呂の歌や民間習俗から得たものと思われるが、誤解を生みやすい。また、歌垣が農耕の予祝と関係することも一般に説かれているが、これも民間習俗から得たものと思われ、歌垣の発生史を説明するものではない。このカガイに嬥歌の漢字を当てたのは、カガイの意味を明確にする。契沖の『代匠記』に嬥歌が『文選』の魏都賦に見え、巴人の習俗であることを指摘する。『文選』の注で巴人は中国西南の民族であるといい、『井上新考』では清の趙翼の『簷曝雑記』に苗の風俗に墟という行事があり、男と女が恋歌を掛け合い意気投合すれば、今後の約束をするのだという。また、妻に他の男がからかうと夫は喜び、からかわれない妻は家に帰ると夫から謗られるのだともいう。こうした中国少数民族の習俗との類似から嬥歌の漢字が当てられたといえる。ここから見ると、カガイの習俗は日本列島に止まらず、東アジアの文化として存在することが知られる。土橋寛「歌垣の意義とその歴史」『古代歌謡と儀礼の研究』(岩波書店)。渡邊昭五『歌垣の民俗学的研究』(白帝社)。辰巳正明『詩の起原』(笠間書院)。
執筆者 辰巳正明