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万葉神事語辞典


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項目名 おおとものうじのかみ
項目名(旧かな) おほとものうじのかみ
表記 大伴の氏の神
Title
Otomonoujinokami
テキスト内容 大伴氏の祖先伝承は記紀に見える。紀の一書は天孫降臨の条で「時に、大伴連の遠祖天忍日命(とほつおやあめのおしひのみこと)、来目部の遠祖天槵津大来目(あめくしつのおほくめ)をひきいて、背(そびら)には天磐靫(あまのいはゆき)を負ひ、臂(ただむき)には稜威(いつ)の高鞆(たかとも)を著(は)き、手には天梔弓(あめのはじゆみ)・天羽羽矢(あまのははや)を捉り、八目鳴鏑(やつめのかぶら)をとりそへ、また頭槌剣(かぶつちのつるぎ)を帯(は)きて、天孫(あめみま)の前(みさき)に立ちて、遊行(ゆ)き降来(くだ)りて、」と伝えている。天皇家の祖神天孫邇々藝命(ににぎのみこと)の降臨にさきがけ、同族久米氏とともに種々の武具を準備し身にまとって、奉仕しているさまを神話の中で伝えていることが注意される。軍事面での天皇家との早くからの深いつながりが推察され、大伴氏は天皇家のそば近くで奉仕してきた軍事氏族と捉えるのが一般的である。万葉集の家持歌から推察するに、久米氏の本宗か支族が天皇家との特別な関係から「大伴」と賜名された可能性もある。「おほとものうじのかみ」の語は、天平5(733)年の大伴坂上郎女の「神を祭る歌」(3-379)の左注に、「大伴(おほとも)の氏(うぢ)の神を供祭(まつ)る時に、聊(いささ)かにこの歌を作る。」として用いられるだけである。坂上郎女は作品中で氏の神を「ひさかたの天(あま)の原(はら)より生(あ)れ来(きた)る神の命(みこと)」として、高天の原の神の時代から生まれ継ぎ今に到った先祖の神々と捉えている。記紀に採録される天忍日命の伝承も捉えての表現であろう。作品の内容はその祖先神との再会を願う形式を採りながら、そこに留まらないで相聞歌として祖先神に恋の成就を祈願すると云う内容となっている。祖先神が個的な恋にまで関与する用例である。なお、当時の大伴氏は伴寺を建立し仏教に帰依していたが、他方、氏神を祀る社も存在したのであろう。また、甥家持の大伴の氏や神祖(かむおや)への執着は特別である。東大寺の廬舎那大仏造立に際し、不足した鍍金用の黄金が陸奥国より出土し、それに関する詔書(詔13)が人々に示され、そこには「また大伴(おほとも)・佐伯(さへき)宿禰は、常(つね)も云はく、天皇(すめら)が朝(みかど)守(まも)り仕(つか)へ奉(まつ)る、事顧(ことかへり)みなき人等(ひとども)にあれば」と、「大伴」が取上げられていた。これに感銘を受けた家持は、「陸奥国より金を出せる詔書を賀く歌」(18-4094)と云う特別な題詞を持つ大作を制作し、「大伴の 遠(とほ)つ神祖(かむをや)の その名をば 大久米主と 負ひ持ちて…流さへる 祖(をや)の子どもぞ 大伴と 佐伯の氏は」と詠出した。大伴の「氏」に自覚的になり、祖に目を向け遠つ神祖としての「大久米主」の存在を強く意識している。記紀は大伴氏の神祖として天忍日命・道臣命・日臣命を伝えるが、家持は「大久米主」を神祖とする。→とおつかむおや〔遠つ神祖〕 小野寛・櫻井満「大伴氏」『上代文学研究事典』(おうふう)。
執筆者 佐藤隆