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万葉神事語辞典


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項目名 うねびのみや
表記 畝傍の宮
Title
Unebinomiya
テキスト内容 奈良県橿原市の畝傍山東南に造営された初代神武天皇の宮。現在の橿原神宮が伝承地である。神武記では、東征の最後に、「如此荒ぶる神等を言向け平げ和し、伏はぬ人等を退け撥ひて畝傍の白檮原宮」においでになって治世をされたとあり、神武即位前紀では山林を伐り開いて宮殿を造ったとある。考古学的な調査では、実際に樫の切り株が見つかっている。紀には橿原宮の地を選定した理由として畝傍山の東南の橿原の地は、国の奥深い安住の地であると記すが、神武天皇と畝傍の地との関係はいまだ明確にされてはいない。神武天皇陵も、記には、「御陵在畝火山之北方白檮尾上也」、紀には「葬畝傍山東北陵」と記されている。神武以下いわゆる欠史八代のなか4代が畝傍周辺に陵を置くことと関わるかと推定される。万葉集には、大伴家持の「族を喩す歌」(20-4465)がある。その前半部には、天皇が「高千穂の岳」に天降りした場面ではじまり、東征を経て、「橿原の畝傍の宮」に「宮柱 太知り立て」ることが、「大和」の歴史として描かれる。そして、その時以来「天の日継と 継ぎてくる 君の御代御代」を「明き心」で「子孫の いや継ぎ継ぎ」に仕えている一族が大伴氏であると詠う。記紀では「畝傍の橿原宮」であり、柿本人麻呂の近江荒都歌(1-29)では、記紀と同じく、神武天皇治世は「畝傍の山の 橿原の日知の御世」と表現される。それにもかかわらず家持は、「畝傍橿原宮」の地名を置き換えている。大伴氏にとって畝傍山は縁ある地であった。神武紀に、大伴氏の遠祖道臣命が東征の功績により畝傍山の南方に位置する築坂邑に宅地を賜ったとある。家持はこのような祖先伝承を意識し、「畝傍の宮」としたものか。記には天孫降臨の際に先導した天忍日命が大伴の祖と示されている。その事績とともに、あるいはそれ以上に「畝傍」の地が、家持にとって大伴家の由来を説く地であった点、注目できる。「族を喩す歌」における家持の氏族意識は、他にも様々な観点から論じられている。
執筆者 清水明美
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畝傍山