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万葉神事語辞典


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項目名 うだ
表記 宇陀
Title
Uda
テキスト内容 奈良・平安期に見える地名。奈良盆地の東南、宇陀山地の一帯に位置する。宇陀の地名は神武東征伝承を中心として「菟田の高城」「菟田の血原」「菟田の高倉山」「兎田の墨坂」「菟田の篠幡」「宇太の蘇邇」など記紀に多く見える。また水分信仰の最も盛んな地域でもある。瀬尾満は、古墳の分布が芳野川流域に多く見られること、『延喜式』神名帳に見られる式内社十六社のうち八社が芳野川流域にあることなどから、古代の宇陀における芳野川流域の重要性を指摘している。古代における宇陀は、狩猟の地としても名高く、推古紀19年5月5日には端午行事として薬狩が盛大に行われたことが記されている(薬狩の初見)。万葉集には日並(草壁)皇子の殯宮時に、ある舎人が「狩にお出かけになられた宇陀の大野は」(2-191)と詠み、また父のおもかげを追う軽皇子に従駕した柿本人麻呂は「日並の皇子の命が馬を並べて狩を催された同じその時刻になった」(1-49)と詠みあげる。また宇陀は、大和・吉野・伊勢の三地域を結ぶ交通の要衡でもあり、特に吉野とは、神武東征伝承における重要な場所である点や、丹生の信仰が存在する点などにおいて共通した文化基盤を持つ。万葉集では「赤土に寄せる」という譬喩歌で「大和の宇陀の赤土の色が赤くしみ付いたら」(7-1376)と詠まれる。世間の噂を気にすることを譬えた女の歌ととらえるか、女と馴染みになることを譬えた男の歌ととらえるかは見解が分かれるが、宇陀の丹生が著名であったことは端的に窺われる。丹は道教の不老不死の仙薬として珍重されており、瀬尾満は、「東方の不老不死の仙郷という意識があったかもしれない」としている。皇極紀には、菟田山に登り、雪中に生えた紫の菌を羹にして食したら無病長寿になったという記事があるが、これも「仙郷」と無関係ではあるまい。桜井満・瀬尾満編『宇陀の祭りと伝承』(おうふう)。
執筆者 東城敏毅