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万葉神事語辞典


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項目名 うじのわたり
項目名(旧かな) うぢのわたり
表記 宇治、菟道の渡り
Title
Ujinowatari
テキスト内容 宇治川の渡し場。場所は未詳。宇治は大和と近江を結ぶ道筋にあたる。宇治川は現在の京都府南部を流れる川で、琵琶湖から流れ出た瀬田川が京都府内に入る手前から木津・桂川との合流地点までをいう。現在の宇治川は1594(文禄3)年に豊臣秀吉の命によって付け変えられた以降のものであり、当時とは異なる。万葉集の時代は、現在の宇治市槇島町・小倉町付近を幾筋かに分かれて西に流れ、巨椋池に流入していた(「宇治市史」)。万葉集の歌にも「もののふの八十宇治川」(1-50、3-264など)とあるように、幾筋にも分流していたことが分かる。柿本人麻呂が近江から大和の都への帰都(3-264)や大和から逢坂山への道筋を詠んだ歌(13-3236)にそれぞれ宇治川が詠まれており、水陸交通の要として宇治の渡河点があったことが知られる。紀天武条には菟道の橋守とあり、遅くとも7世紀中頃には宇治橋が架けられていたことが知られるが、万葉集には宇治川の流れが急なために渡れないこと(11-2428)や船を渡せと呼んでもなかなか聞こえないこと(7-1138)が詠まれており、船での渡河がみえる。また、記紀の応神条では、宇治の渡りで大山守皇子が溺死させられた記事と歌謡が残されている。その他、宇治川は藤原宮の役人が作る歌に、近江国の田上山のひのき丸太を浮かべ流して運んだ(1-50)とあり、木材の運搬にも重要な役割を果たしてきた。このような宇治川の渡りは、その流れの速いことが詠まれ、流れが速いので今は会えずにいるという恋の障害物の比喩的な表現として詠まれている(11-2428)。また、大和国から逢坂山までに通過した地名を並べた歌(13-3236)がある。穂積朝臣老が佐渡に流された時に作ったとされる歌では、通過した場所として詠われ(13-3240)、都から徐々に遠ざかる心細さが詠まれている。
執筆者 同前美希