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万葉神事語辞典


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項目名 ある
表記 生る
Title
Aru
テキスト内容 神聖な存在がこの世に現出・誕生することを意味する。柿本人麻呂の近江荒都歌(1-29)の「玉だすき 畝傍(うねび)の山の 橿原(かしはら)の聖(ひじり)の御代(みよ)ゆ 生(あ)れましし 神のことごと」は、伝説上の初代神武天皇以来、神としての歴代の天皇がこの世に出現して天下を統治したことを言い、「生る」の本義を最も典型的に示している。その他、万葉集内では、アレキタル、アレツカス、アレツギク、アレツクと複合動詞として用いられている例が見られる。田辺福麻呂歌集から採られた「久邇の新京を讃むる歌」(6-1053)の「八千年に 生れつかしつつ 天の下 知らしめさむと」も人麻呂近江荒都歌と同じく、歴代の天皇が神として世に現出し、天下を治めることを言う例である。記や『続日本紀』に皇子の誕生を「生る」と表現した例が見られるのも、同様の例として見ることができる。こうした神としての天皇の誕生を言う例が見られる一方で、大伴坂上郎女の祭神歌(3-379)の「ひさかたの 天の原より 生れ来る 神の命」は、この世に座す神々が現出したことを言う例であり、「生る」が神聖な存在の現出・誕生を意味する語であり、天皇の誕生に限定される語ではなく、聖なる存在一般について用いられる語であることを示している。「藤原の御井の歌」(1-53)の「藤原の 大宮仕へ 生れつくや 娘子がとものは ともしきろかも」、斉明天皇(岡本天皇)の御製歌(4-485)の「神代より 生れ継ぎ来れば 人さはに 国には満ちて」は、「娘子」「人」の誕生について用いられる例であり、神の現出を言う例ではないが、斉明御製においては人の誕生を神代以来のこととして歌っており、神話的な文脈で用いられていることは確かである。「藤原の御井の歌」の例も、「娘子」を水辺で神に仕える巫女的存在と見ると、やはり神聖な存在の現出・誕生を言う例と見られることになる。こうした神聖な存在の現出・誕生を意味する「生る」を、「荒る」と関係づける説もある。挽歌において、主人を亡くした家が荒れゆくことを歌う例を見ると、「荒る」は人間の世界の秩序とは異なる世界へと進み行くことを意味するものと見られ、「荒磯」「荒き山道」などの例でも、人の世界の秩序を超越した神聖性が観念されているようである。また、具体的な審議との関係では、賀茂祭の榊が「御阿礼木」と称されるのは、その榊が神の宿る依り代であるためと考えられる。
執筆者 大浦誠士