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万葉神事語辞典


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項目名 あゆ
表記
Title
Ayu
テキスト内容 あゆ科の魚。鮎子とも。晩秋に孵化して海に下り、早春に川に戻ってくる。「年魚」と表記されるのは、その1年を周期とした習性ゆえであろう。「鮎」の字の由来は、古来神意や吉凶を占うために用いられたためとも言われ、現在も鮎を川に投げ入れて吉凶を占う行事が残っている。神功紀には、三韓征伐に際して神功皇后が肥前国松浦県玉島里で、遠征の吉凶を占うウケヒのために鮎を釣った事績が載せられており、その後その国の女性は、毎年4月上旬に釣り針を河中に投げ入れて鮎を捕ることを習わしとしたという。全国の川に住むが、万葉集では吉野川、松浦川、泊瀬川、叔羅川などの鮎が詠まれている。万葉の時代から、鵜飼、釣り、網などの方法で漁獲され、食用に供されていた。柿本人麻呂の吉野讃歌(1-38)の「行き沿ふ 川の神も 大御食に 仕へ奉ると 上つ瀬に 鵜川を立ち 下つ瀬に 小網刺し渡す」は、吉野川での鮎漁の情景を、川の神の天皇に対する奉仕の様として歌ったものである。巻5の松浦川歌群には、「松浦川川の瀬光り鮎釣ると」「松浦なる玉島川に鮎釣ると」と、松浦の玉島川での鮎釣りの様子が歌われる。松浦川歌群の鮎釣りは、その伝承を下敷きにしたものである。清らかな流れに生息する習性ゆえであろうか、鱗をキラキラと光らせながら「鮎走る」情景は、清らかな川を讃美する表現として用いられている。天智紀に童謡として載せられている「み吉野の 吉野の鮎 鮎こそは 島辺も良き え苦しゑ 水葱の下 芹の下 吾は苦しゑ」は、大津宮を出て吉野に隠棲した大海人皇子(天武天皇)の苦しい境遇を鮎に託して歌ったものである。
執筆者 大浦誠士